読み終わった本と聞き飽きたCD

田舎生まれの百姓なので今でも青山とか代官山とか銀座に代表される都会のオシャレスポットに間違って足を踏み入れようものならば皮膚が著しく乾燥し、唇はひび割れ、頭髪は8割がた抜け落ちてしまい、爪は先の方からボロボロと剥がれ落ちてしまう症状を患っており、たまの休日も普段は自宅とコンビニの往復で過ごし、ちょっと足を延ばすにしても都心なんて無理無理、せいぜい郊外のブックオフで立ち読みをするのが精一杯です。

そんなブックオフ。店内放送に耳を傾けると「読み終わった本や聞き飽きたCDがあったら買い取るぞなもし」的なことを言っているわけですが、これがずっと前からどうも心の片隅に引っかかっておりました。「読み終わった本」はいい。しかし、「聞き飽きたCD」とは一体どういう了見ぞなもし。なんか、CDを売るのは「もうこのCDは僕をエキサイトしてくれない、ただの円盤に成り下がってしまったから」みたいな、ものすごいネガティブな意味合いに取られてしまいませんか? 本と同じように「聞き終わったCD」という表現じゃいけなかったんですか? CDは繰り返し聞くことが前提のメディアだから? いや、本だって繰り返し読みますよ? 何故? 何故CDだけ? 今まで僕が聞いてきた音楽は、繰り返し聞くことで消費されてしまうような、そんな安っぽい商業音楽だったのか? いや違う。僕の耳と、センスと、直感で精選された音楽はもっとこう、なんて言うか、スペシャルな存在だったはずだ。そう、僕の聞く音楽は世界中に鳴り響き、この腐りきった世界を変えるファンファーレになるはずだ。ロックによる無血革命だ。ストーンローゼズ、オアシス、ベック、ミッシェル・ガン・エレファントレディオヘッド中村一義ストロークス…。僕はあの子の彼氏よりもずっといい音楽を知っているし、それを知れば彼女もきっと彼氏なんかよりも僕の方に気が向くはずなんだ。向くはずなんだよ! それを「聞き飽きた」だって? そんな馬鹿な!

そんな悶々とした気持ちで読み終わった本と聞き飽きたCD、あとDVDとゲームソフトなどを袋に詰めて、ブックオフの出張サービスで買い取ってもらいました。いくらになるのかなあ?